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| ★店長が溺愛する熱い音楽人たち...ある意味、異常... 2004.01.08 | ||||||||||||||||||||||||||||
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| ★ストリートファイター 2004.11.06 | ||||||||||||||||||||||||||||
| もう10数年も前、梅田の楽器店で働いていた頃。 21時過ぎに仕事を終え東梅田駅に向かう途中、 幾人ものストリートミュージシャンを毎日の様に見ていた。 腕のあるストリートファイターがいれば終電まで時間を過ごし 視覚・聴覚的にデーターを蓄積していった。 しかし、当時は長渕や尾崎をアコギでかき鳴らし形きり唄う者ばかり。 たまにホームレスのおっちゃんが、どこで手に入れたかわからない 落書きだらけで弦が切れて音階も合っていないアコギを抱えて 日本どブルース=演歌を熱唱している。 そんなジャンクな音楽が私にとって御馳走であった。 その数年後、職場はミナミに変わり.... 残業を終え、心斎橋を自転車で走る。 だが、ここもストリートミュージシャン達が存在した。 商店街は22時に閉まる。 この時間になると心斎橋は夜の顔に変わるのだ。 居酒屋から出たばかりの群れたサラリーマン達が駅へ向かう。 その彼らを目当てにストリートファイター達は日銭を稼ぐべく 2時間のステージを始め出す。 とある商店の前が彼らのステージ。 シャッターを照らすスポットライトと人混。 ハープを肩から下げ、ギターのハードケースを開け、 自身のポケットから小銭を出しそのケースへ鏤める。 一息飲んだあと、程よく顔を赤らめた客席に最高の笑みと唄、技を満遍なくまき散らす。 終電が去ってしまったあとに残る寂人たちがステージの正面で朝まで過ごす。 こんな事が毎日繰り返されていた。 ジャムズを立ち上げる直前、久々に夜のアーケードを潜った。 『少し雰囲気が変わったのか......?』 ホストの客引きが横行して、長渕や尾崎に代わって 山崎まさよし、ゆずを弾き語る少年達がたむろう。 が、すぐに脳へ直撃するサウンドが飛び込んできた。 『ギャワワワワァッ!ギャワッ!クワァカカッ!クワカカッ!』 人込みを掻き分けその音の発信源に近付く.... そこには レスポールを小型アンプにつなぎ、ワウを狂った様に刻むストリートファイターが。 どう見ても一世代上の人間。 『浪速のジミーペイジ』 たしかケースにはそう書かれていたと記憶している。 ピックで掻きむしった跡がボディーをえぐり、たびたび5,6弦を切る。 潰したかすれ声がアーケードに響き渡る。 そのソウルフルなサウンドは私自身の心底まで轟き身を強請りマグマが込み上げてくる。 彼を見た瞬間、私の中の音楽に対するものはすべて変わった。 そのあと、週末になると朝まで心斎橋へ。 そこで数えきれない様々な狂人ストリートファイター達と出会う事になる。 ....この2,3年前より心斎橋のストリートは廃れ、行き交う人間が足を止める場所では無くなった。 寂しいものだ。 昨晩、東京へ飛んでいた『浪速のジミーペイジ』が一時帰阪し、1夜限りのステージを行った。 『ストリートには彼以外、誰も出ていない.....』 落書きだらけの4弦が切れたガットギターで熱いステージが始まる。 しかし....足を止めるものは少ない。 時代は流れている事を体が感じ、それを知った。 熱くなくても生きれる時代が来たのだと.....。 いや、時代は繰り返され.....またその期が訪れるにはそう時間はかからないはず。 少なくとも彼が生きている限り、可能性は残っていると信じたい。 |
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| 【店長日誌2005年版】 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 【店長日誌2005年版へGo】 ■ とある夏夜の思い出(夢か現実か...) ■ マックな話し |
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| JAM's
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